孤独のチルアウト
バレアリックとは?
ジャンルではなく「ムード」でつながる、名前のない音楽
バレアリックとは、ひとことで言えば——バレアレス諸島、とりわけイビサで育まれた、音楽の選び方そのものをめぐる思想です。
特定の音楽ジャンルを指す言葉ではありません。ジャンルや時代の異なる音楽を、ひとつの「ムード」——その場に流れる空気——の中で結びつけていく選曲思想であり、DJのスタイルそのものを指す名前です。
では、なぜこの思想が「バレアリック」と呼ばれるようになったのか。その名前の由来から辿っていきます。
Balearic Islands
バレアレス諸島とは——地中海に浮かぶ群島
バレアリックという言葉の由来は、音楽そのものではなく、地図の中にあります。
バレアレス諸島。スペイン東方の地中海に浮かぶ群島です。
最大の島マヨルカは「地中海の宝石」とも呼ばれ、州都パルマ・デ・マヨルカを擁するバレアレス諸島の中心。穏やかで静かなメノルカは、先史時代の巨石遺跡が残る、観光客の喧騒からやや離れた島。そしてイビサと、その隣に寄り添うように浮かぶ小さなフォルメンテラ。この4つの有人島と、無人島カブレラを中心とした群島の総称が、バレアレス諸島です。
つまり、バレアリックとは本来ひとつの島の名前ではなく、群島全体の名前。イビサはその中のひとつに過ぎません。
けれど、この群島の名前がやがて、ジャンルを超えてムードで音楽を結びつける、ある選曲思想を指す言葉になっていきます。地名が音楽用語に変わる——その過程を、ここから辿ってみたいと思います。
前作「IBIZAとは?」を読んでいただいた方には、その続きとして。この記事から読み始めた方には、ここからの話がイビサという島の音楽的な核心に触れる入口になるはずです。
Origin
受け継ぐ問い——地名が、音楽の言葉になった
前回の記事の最後に、ひとつの言葉だけを置いて筇を止めました。
ジャンルではなく場の空気でつなぐという選曲の思想——それはバレアリックと呼ばれた、と。
呼ばれた、と書きました。けれど、呼ばれる以前、それは何だったのか。
答えはとても単純で、それはまだ名前を持っていなかった。1980年代のイビサのクラブで、ある種のDJたちが実践していた選曲の「やり方」——あるいは「姿勢」と言ったほうがいいかもしれない——が、ただそこにあっただけです。ジャンルという枠組みを使わずに、その場のムードで音楽を繋ぐ、という行為。それ自体にはまだ名前がなかった。
名前は、後から来ました。そしてその名前は、この群島の名前から借りたものでした。
The Spark
Alfredoという火種
その出発点に立っていたのが、Amnesiaのブースにいたひとりのアルゼンチン人DJ、Alfredo Fioritoです。
ロックもポップも、エレクトロニクスもワールドミュージックも、彼にとってはすべて等価でした。彼が読んでいたのは、自分自身の気分ではなく、フロア全体に漂う空気——その夜、その瞬間に会場を満たしているムードでした。ジャンルという地図を手放して、その場のムードだけを頼りに選曲を繋いでいく。辺境に流れ着いた自由な空気と、この選曲の姿勢は、最初から深く相性が良かったのだと思います。
Balearic Beat
Paul Oakenfoldという橋——「バレアリック・ビート」の誕生
Alfredoが生み出したこの空気は、島の中だけにとどまりませんでした。
1987年、自身の24歳の誕生日を祝うためにイビサを訪れたPaul Oakenfoldは、その夜、Amnesiaで思いがけない体験をすることになります。
Danny Ramplingら仲間たちとともに訪れたAmnesiaで、彼らはAlfredoのプレイに出会います。ジャンルという境界を軽々と飛び越え、その場のムードだけを頼りに音楽を繋いでいくスタイルは、当時のイギリスにはほとんど存在しないもので、彼に大きな衝撃を与えました。
帰国後、彼はその体験をロンドンで再現しようと試みます。そして、その試みはやがてUKアシッドハウス・ムーブメントへと繋がっていくことになります。
そしてこのとき、メディアと業界は初めてこの感覚に名前をつけました。
バレアリック・ビート。
場の空気で音楽を繋ぐという「やり方」が、ここで初めてジャンルタグを与えられた瞬間です。
とはいえ、これは奇妙なジャンルでした。核にあるのは「ムードで繋ぐ」という選曲の姿勢であって、音そのものの特徴ではない。ハウスでもアンビエントでもトリップホップでもあり得る。英Crack誌がかつて書いたように、それは「ジャンルというより、マインドセット」に近いものでした。つまりバレアリックは、特定の音楽ジャンルというよりも、異なる音楽をひとつのムードの中で結びつける選曲思想であり、DJスタイルそのものだったのです。
Two Roads
二つの道——熱狂と静寂
名前を与えられたパレアリックは、ここからふたつの方向に分かれて育っていきました。
ひとつは熱狂の方向。Amnesiaから始まったその血脈は、Pacha、Privilege、Space——やがてスーパークラブと呼ばれる巨大な夜の文化へと膨らんでいきます。世界中からDJと観客が集まり、一晩で数万人が踊る島。イビサが「パーティーアイランド」として世界に知られるようになったのは、この道の先にある風景です。
もうひとつは、まったく逆の方向でした。
同じ「ジャンルではなく場の空気でつなぐ」という思想を、夜のピークではなく、もっと静かな時間に向けて使う道。踊るためではなく、ただ聴くために音楽を選ぶ。フロアの熱狂ではなく、夕暮れの水平線に寄り添うように音を置いていく。
後年、この静かな流れは多くのDJやプロデューサーたちを惹きつけることになります。
そのひとりがChris Cocoでした。80年代末のアシッドハウスから出発した彼は、後にバレアリックチルアウトの代表的な語り手のひとりとなります。
彼自身、ある場所での体験を経て、この音楽観に深く惹かれるようになったと語っています。
Beyond the Horizon
静かな道の先で
熱狂と静寂。ふたつの道に分かれたバレアリックの精神。
そのうち静かな道を、誰よりも深く、誰よりも長く歩き続けた場所があります。ひとりのDJが夕陽に合わせて音楽を選び続けたことで、サンセットとチルアウトという言葉が、世界中で等号で結ばれることになった場所。
1980年、サンアントニオ湾のサンセットを望む海辺に生まれた、その場所の名前こそが——
Café del Mar
——なのです。
pexels-sebcomantravel