Café del Marとは?
前回の「バレアリックとは?」は、ひとつの場所の名前を明かして終わった。熱狂と静寂——ふたつに分かれたバレアリックの精神のうち、静かな道を誰よりも長く歩き続けた場所。
Café del Mar(カフェ・デル・マール)。スペイン語で「海のカフェ」。
イビサ島の西海岸に、いまも実在するひとつのバーの名前だ。そして同時に、世界でもっとも有名なチルアウト・コンピレーションシリーズの名前でもある。ただ、この場所の物語は、しばしば「José Padilla(ホセ・パディーヤ)が生み出した」と語られすぎているように思う。実際には順番が逆だった。ひとつの思想と空間がまず先にあり、José Padillaはそれを音楽で完成させた人物だった——今回は、その順番を辿り直す。
Café del Marを生んだ3人
1980年6月20日。イビサ島西海岸、サンアントニオ(サン・アントニ・デ・ポルトマニー)のカロー・デス・モロという入り江に、一軒の小さなバーが産声を上げる。名付け親であり創業者となったのは、Ramón Guiral(ラモン・グイラル)、Carlos Andrea(カルロス・アンドレア)、José Les(ホセ・レス)の三人だった。
José Padilla(ホセ・パディーヤ)の名は世界中に知られている一方で、その舞台となるCafé del Marを生み出した三人については、驚くほど記録が残されていない。分かっているのは、彼らがアラゴン出身の友人同士であり、1980年にイビサでこの挑戦を始めたこと。そして「夕陽に音楽を添える」という、当時としては前例のない試みを実践したことだ。彼らこそが、歴史の陰に隠れた創業者たちなのだ。
地元紙Periódico de Ibiza y Formenteraが2005年、開業25周年を機に行った取材で、創業者のひとりCarlos Andrea(カルロス・アンドレア)はこう振り返っている。当時のサンアントニオ中心部(現在のウエストエンド)にあったような、にぎやかな盛り場とは違うものを作りたかった、と。場所が決まったあとは、サンバ・ロックからニューエイジ、ベートーヴェンやヴィヴァルディ、Alan Parsons、Vangelisまで、ジャンルを問わずさまざまな音楽を試しながら、日没にふさわしい音を手探りで探っていったという。
出典:Periódico de Ibiza y Formentera「25 aniversario de postales con ritmo」(2005年8月21日)
夕陽の舞台を設計した男 ― Lluís Güell(リュイス・グエイ)
店の内装とデザインを任されたのは、カタルーニャ出身のLluís Güell(リュイス・グエイ)だった。彼は単なる建築家ではない。画家であり、彫刻家であり、インテリアデザイナーであり、建築家でもある——自らを「空間の創造者(creador de espacios)」と称した、ひとつの肩書きに収まらない総合芸術家だ。
1975年、Güellはカタルーニャからイビサへ移住する。以後およそ10年にわたってこの島にとどまり、レストランやディスコなど、当時のイビサの文化を象徴する空間を数多く手がけた。Café del Marより先に彼が手がけたのが、同じサンアントニオのクラブEs Paradís Terrenal。ほかにもSummumなど、島の夜を彩った名だたる空間の多くが彼の作品だ。José Padillaが現れる10年以上前から、Güellはすでにこの島の夕暮れと夜の風景をデザインしていた人物だった。
Café del Marの内装は、Güellらしい色彩豊かな装飾で満たされている。彼自身、この空間について「水平線と海、そこに見える色から着想を得た」と語っている。現地メディアIbiza Spotlightでは、そのベランダの佇まいがヨットを思わせる、と紹介されたこともある。一方で、現地の紹介記事にはしばしば、テラスに座る客の多くがその内装には背を向け、ただ海のほうを向いて座る、という描写が見られる。
水平線と海に着想を得たデザインが、結果として客を海のほうへ向かせているという事実だけを見れば——この建築は、結果として夕陽と海が主役になる舞台になっていると言えるのではないか。José Padillaほど名前は知られていないが、Güellもまた、歴史の陰に隠れた重要人物――地元メディアには”uno de los genios desconocidos”(最も知られていない天才の一人)とも評されている。
夕陽に拍手を贈る場所
太陽が水平線に完全に沈みきった、その瞬間。テラスに集まった人々から、自然と拍手が起こる。
コンサートでもなければ、演劇でもない。ただの日没だ。地球上のどこでも毎日起きている、ありふれた自然現象。それに向かって、人々は惜しみない拍手を送る。
この習慣は、Café del Marだけのものではない。同じサンアントニオの海岸沿い、「サンセット・ストリップ(地元ではSes Variadesと呼ばれる遊歩道)」では、14年後に開業した隣のCafé Mamboをはじめ、いくつもの店や海岸で、夕陽に拍手を送る光景が見られる。Café del Marがこの文化そのものを生み出したと断定できる資料はない。ただ、この一帯で最も早く「夕陽と音楽」という体験を形にした店だったことを思えば、この文化を育む重要な出発点のひとつだったと考えるのは、ごく自然なことではないだろうか。
夕陽を「ただの日没」ではなく「一日にいちどの上演」に変えること。
この光景こそが、Café del Marという場所の本質なのだと思う。そしてここまでで分かるように、その本質は——三人の創業者の選択と、Güellの建築によって——José Padilla(ホセ・パディーヤ)が現れるよりずっと前から、すでにこの場所に息づいていた。
José Padilla(ホセ・パディーヤ)が完成させたもの
1991年、Café del MarのレジデントDJとなったのがJosé Padilla(ホセ・パディーヤ)だ。ただ、正確に言うなら、彼はこの場所の哲学を生み出した人物ではない。彼が引き受けたのは、すでにテラスに存在していた「夕陽を祝福する」という空気を、音楽という形に翻訳する仕事だった。
彼が実践したのは、フロアを盛り上げるための選曲ではなく、沈んでいく太陽の速度に音楽を寄り添わせること。アンビエント、クラシカル、ジャズ、ワールドミュージック——ジャンルを問わず、「いまこの空の色に合うかどうか」だけを基準に音を選んでいく。
これは、Alfredo(アルフレッド)がクラブのフロアで実践した「ムードで繋ぐ」というバレアリックの思想を、夜の熱狂ではなく夕暮れの静寂——すでにGüellの建築とテラスの習慣によって用意されていた舞台——に向けて使った、ということだ。José Padillaがいなければ、この場所の思想が音楽として世界に共有されることはなかったかもしれない。けれど彼がいなくても、Café del Marという場所そのものの思想は、すでにそこに存在していたのだ。
世界に届いたテラスの空気
1994年、その思想と空気を封じ込めたコンピレーションアルバム『Café del Mar』が発表される。選曲はJosé Padilla本人。
これが、世界的な事件になった。
このアルバムが持っていた意味は、ふたつあったと思う。ひとつは、すでにイビサを訪れたことのある人にとって、あのテラスの記憶を自分の部屋に持ち帰るための音の土産としての役割。そしてもうひとつは——まだ一度もイビサに足を運んだことのない人の中に、「いつかあの夕陽を、あの場所で見てみたい」という憧れそのものを生み出したことだ。イビサに行ったことのない人でも、レコードやCDを通して「あのテラスの夕暮れ」に恋をする。それが、多くの人にとってのCafé del Marとの最初の出会いだった。
シリーズは回を重ねるごとに支持を広げ、やがて累計数百万枚を売り上げる、チルアウト史上もっとも成功したコンピレーションシリーズへと成長していく。Padillaは初期の6作の選曲を手がけ、その後もシリーズは作り手を変えながら、四半世紀以上にわたって続いていくことになる。
多くの人にとって、このジャケットは、まだ見ぬ夕陽への憧れそのものだった。
場所であり、シリーズであり、ひとつの体験
Café del Marは、いまもサンアントニオの同じ海辺で営業を続けている。ブランドは世界各地に広がり、コンピレーションはいまも新作が生まれ続けている。
けれど、その核にあるものは1980年、三人の創業者とひとりの建築家がこの場所を作った瞬間から変わっていない。夕陽という誰にでも平等に訪れる時間を、特別な体験に変えること。José Padillaの音楽は、その思想を世界に届けるための翻訳だった。しかし翻訳される前から、原文はすでにそこにあったのだ。
ヒッピーが持ち込んだ自由(IBIZA)、ジャンルを手放した選曲思想(バレアリック)、そして夕陽を祝福する場所の思想(Café del Mar)。3回にわたって辿ってきた物語は、ここでひとつに繋がる。
後書き
このブログでは、Café del Marのコンピレーションシリーズを1作ずつ聴き直すレビューを続けている。あのテラスに流れていた空気が、20年以上かけてどう変化していったのか。よければ作品ガイドから、気になる1枚を見つけてほしい。